中京大中京 大藤監督 講演会

≪名古屋市中区 名古屋ABC≫

 

朝日新聞名古屋支局で開催された大藤監督講演会に行って来ました!18:00過ぎに着いた頃は空席もありましたが開演の18:30には満席となり、ざっと300人規模の講演会となりました。始まるまではスクリーンで昨夏選手権の決勝戦ダイジェストが流れ、何度も見た新潟文理の怒涛の追い上げ、山中主将の深紅の大優勝旗授与のシーンが思い出されました。日頃スタンドでお見受けするお馴染みさんもあちこちにおられました。





 

㊧が本日の聴講券です。これがないと入れません。㊨は会場の机上に置かれた「留魂」の説明書。この留魂とはグランドベンチ横にある石碑の言葉です。

みんなが苦難に耐えた みんなが死線を越えた みんなが栄光を握った みんなが伝統を守った そして今も みんなが見守っている 応援している 願っている







大拍手に迎えられて大藤監督の登場!本日のテーマは「留魂~人あっての高校野球」です。まずは学校の説明から。。S42から校名が中京高校、H7から中京大中京、H10から男女共学になった。現在全生徒数1,175人(男子479人女子696人)今の1年生に至ってはその65%を女子が占める。近いうち7割が女子になるかもしれない。

グランド設備は昔となんら変わりなくレフト97m、センター130m、ライト70mの異型グランドで雨天練習場と言っても倉庫のようなもので、最新の設備に比べたら比較にならない。

H2年8月から監督を務め今年で20年目となった。監督になってから春・夏合わせて39回甲子園へ行くチャンスはあったものの8回しか行けてない状況。自身としては7年目に甲子園に行けた!就任当初は長い時間をかけての厳しい練習の毎日でまさに篩いにかける方式だった。就任2年目の夏、名電、大府を倒して東邦相手の決勝戦を迎えたがあの名将阪口監督率いる東邦に5-15と大敗で切符掴めず。やはり鍛え方が足りない・・。そんな中H5に商業化廃止により100人いた部員も30人規模になり最小時の入部者は18人まで減った。

その後、6年目にようやく強いチームが出来た!夏の準決勝まですべてコールド試合をしてのけた!ベスト4に残ったのは杜若、愛産大三河、愛知、中京大中京。これはひょっとしてと思ったのもつかの間で準決勝で三河に敗退。これもまた瑞穂球場での出来事だった。

なかなかあと一歩で届かない甲子園。。このあたりから結果より人間教育に趣を置いた方針に変えていった。そしてH9春、秋季に東邦、名電、大府を倒してついにセンバツ甲子園切符を掴む!P大杉、4番杉浦の時代だった。クジの結果初戦は日高中津分校(和歌山)。全国の分校を敵に回したようなすごいアウェー状態の中での試合。先制されたがなんとか逆転し面目を保った。私もこの時は新幹線で甲子園往復の毎日で、中でも準々・春日部共栄戦は雨天試合にもかかわらずノーエラーが光ったことや、準決勝では報徳学園に目の覚める先制攻撃が的中して勝利を勝ち取ったことを思い出しました。







  ≪試合に勝つための3つの要素≫

 ① 選手が一生懸命やること

 ② 親の協力

 ③ 学校のバックアップ


①についてはごもっともな要素です。②については寮制ではなく自宅通学のため早朝、深夜の送迎等、親の協力なしでは有り得ない。③についてはスポーツコースの新設(野球、サッカー、陸上、水泳、フィギュア)による有力生徒の確保と、天候次第で平日に試合がズレ込んだ場合でも校長判断による公欠扱い等の協力。ということでした。講演は約45分で残りは質疑応答が行われて無事閉演となりました。





大藤監督お疲れ様でした。学校の改革期とまともに重なっただけに伝統の看板もさぞや重荷だったことと思います。

夏V戦士の河合君も顔面死球による戦線離脱の可能性や堂林君も練習試合で1塁ヘッドスライディングによる靭帯損傷による一時期離脱があったもののなんとか間に合ったというか間に合わせた本人たちの努力は相当なものがあったということでした。

レギュラーから外れた3年生8人が下級生レギュラーのユニを洗濯機では落ちないため手洗いでやっていたこと。またそれを自分たちの役割(仕事)だと言って行っていたこと。そういうところからもチーム一丸としての結束力が出来たということでした。

昨夏Vで今春のセンバツでも注目されるだけに、またもやの快進撃をOBとして期待しております。

本日はありがとうございました。



            by 天京